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2011年3月

この1週間

東京で震災を経験し、岡山に帰ってきてからの
この1週間は大変な1週間になりました。

幸いにも社員は全員無事でした。
今、テレビで壊滅状態が報道される街の高校に
地震の瞬間に訪問していた者もいました。
そのまま、高校生とともに高校で避難生活です。

日々、明らかになる被害の状況に心を痛めつつ、
仕事の影響があらゆるところですぐに出始め
その対応にこの1週間、追われました。

この4月から送る教材の中で、今回の震災を受け
内容は正しくても、悲しいシーンを連想させてしまったり、
心理的に負担を感じさせるような内容を全部洗いだし
対応を検討しました。
教材で生徒に悲しい思いを
改めて思い出させるようなことは
可能な限り、避けたい、
すでに印刷完了しているものの中でも
刷り直しを決断したものもありました。

その他、物流のストップ、東京での停電による影響が
業務のあらゆるところに出始め、
その状況が日々変わっていくので、
朝決めて、夕方訂正するという
朝令暮改の毎日です。

未曾有の災害で、
これまで通りものごとが
動かないのはどうしようもないことですが、
子供たちにとっての今、このときは
二度とこない大切な時間です。
できるだけ、学びを途切れさせないために
できることを考える毎日です。

震災で卒業式を取りやめた学校の
校長先生のメッセージです。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

できることを考え続け、
小さくてもひとつひとつ積み重ねていきたいです。

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2日間を振り返る その2

翌日、早朝からの地震緊急速報のメールの着信音に
目が覚め、1時間おきにそれが鳴り、
すっかり目が覚めてしまい6時頃起床。

その日の仕事は当然キャンセルになっているので
後は岡山に帰るのみ。
朝のニュースでは昨日は動いていなかったJRが
7時から動き出すということで、安心して、
新幹線の予約を10時頃の新横浜発に変更し、
朝食を食べ、かなり余裕の時間にホテルを出発し、
JR橋本駅へ。

見ると、人が溢れかえっていました。
一旦改札を通って中に入りましたが
ホームへも入れない状態。
電車がいつ来るかわからないような状態でした。

昨日の京王線の動きを知っていたので、
早々にJRに乗るのを諦め、
京王線で品川駅を目指すことにしました。

京王線はホームにスムーズに入れ、電車が止まっており、
座ることができ、少し待つとすぐに出発。
急行でしたが、調布までは各駅停車。
調布からはちゃんと急行運行でした。
JRに比べると私鉄の対応の速さを
今回は実感しました。
通常は、新宿まで京王線で行き、
山手線に乗り換えて品川まで行くのですが、
今回はJRを信用していなかったので、
少しでも京王線で品川まで近づこうと、
明大前で井の頭線に乗り換え、渋谷まで行きました。

渋谷からは、山手線が動いていたので
山手線へ入りました。
電車にはすぐ乗れましたが、
ホームからなかなか出発しません。
となりの恵比寿まで15分かかってしまい、
あと4駅あるので、ひと駅乗ってJRは断念。
タクシーに挑戦です。
駅前のタクシー乗り場は10名ほど並んでいます。
が、タクシーが来る気配がありません。
乗り場を離れ、幹線道路へ行くと、
多くの人がタクシーを求めて立っています。
これはなかなか捕まえられないかもと
不安になりつつ、道路沿いを歩いていると
目の前でタクシーが止まり、降りてくれる人が!
即、そばに行き、待ちました。
本当にラッキーでした。

タクシーに乗って初めてほっとして
タクシーの運転手さんといろいろ話ました。
品川駅近辺は大混乱でなかなか近付けないらしく、
一時は人が溢れて道路が1本歩道になっていたらしいです。
いろいろルートを考えて、うまく短時間で品川に着いてくれました。

ようやく品川駅の新幹線口に到着しました。
橋本のホテルをでてから約3時間。

新幹線は朝からダイヤ通りで運行していました。
都内のJRはあそこまで大混乱だったのに、
不思議なほど、通常通りでした。
あと、エクスプレス予約もすぐれものでした。
随時予約を変更しながら、調整できたので、
品川到着してすぐの新幹線に乗ることができました。
新幹線の切符売り場は長蛇の列でした。

新幹線に乗って、初めてほっとして
力を抜くことができました。

連絡を取り続けている後輩は
高崎から上越新幹線が止まっている中、
遅々として進まない在来線で根気強く移動し続けていました。
山手線は状況を見て、タクシー利用にした方がよいかもしれない
とか、新幹線も朝の状況から比べるとどんどん満席に
なっているので、変更する際にグリーンしか取れない場合は
グリーン車利用でOKなどの連絡をずっとメールで送り続けていました。

私が岡山に帰着したのが14時半。
後輩が岡山についたのが19時半。

長い2日間でした。

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2日間を振り返る その1

改めて、地震発生からの1日半のドキュメントを残しておきます。

地震発生の瞬間。
建物の2階の会議室で2人で会議中でした。
最初は“あっ、地震だ”って思ってたら、
揺れ続けて、だんだん揺れが大きくなり、
2人で顔を見合せながら、これは机の下に行く?って
無言の会話を交わしつつ机の下へ。
机の下にいても大きくしばらく揺れ続け、
建物はみしみし鳴り、
電話機の台はガシャンと音を立てて倒れ、
このビルの中にこのままいてもいいのか、
会議室の扉を開けた方がよいんじゃないか
と、思いは頭の中を巡りますが、結局何もできず。

揺れている最中に会社の防災センターから
“地震発生中です。安全な場所に避難してください”
の放送が流れていました。

揺れが納まったあと、お互い顔を見合わせ無事を確認しあい、
倒れた電話台をもとに戻し、
この大きさだと大変なことがどこかで起こっているかもしれないと
震源地をネットで調べ、東北での発生を知りました。

実はその間に私たちのいるビルでは
一旦外へ避難する指示が出ていたようですが、
会議室まで連絡が徹底されず、
結局私たちが外に出たのはほとんど最後でした。
また、隣の18階建てビルではエレベータが止まっていて
外には出ずに社内にとどまっていたので
直後の対応は不徹底でした。
点呼らしきものもないまま、結局建物の中に戻ってよし
となり、戻りました。
その後は、ずっと揺れ続けていると言っても言い過ぎでない状態が
1時間くらい続き、それ以降もコンスタントに揺れ続きました。

揺れ続けている中、予定通りの仕事をこなし、
定時を越え、派遣社員やアルバイトは帰る時間になりましたが、
多くの人がフロアに残っています。
聞くと、電車が止まっているとのこと。
この時間あたりから、携帯電話がまったくつながらなくなりました。
まだこの時はメールはやり取りができていました。
しばらくたつと、メールも届かない状態になりました。

私は出張で、ホテルをとっていましたが、
たまたまいつも使っている徒歩で行けるホテルが満室で
京王線で少し行ったところにあるホテルだったため
東京支社の人たち同様足がなく、困った状態でした。
6時半の時点で、多摩センターの駅は人が溢れかえり、
タクシーの列は見たこともない長蛇の列になっていました。

どうしようもないので、支社の人とご飯を食べに行って、
電車が動くのを待っていました。東京で住んでいる人は
家族と連絡を取り合うため、随時お店を抜け出しては
公衆電話からお子さんに連絡を入れていました。
最近はすっかりその存在自体忘れがちでしたが、
こういうときの公衆電話は頼りになる存在でした。

11時近くなり、そろそろ、会社に戻って
そこで一晩過ごす準備をしなければいけないだろうか
と覚悟し始めた頃、
京王線が動いたという情報が入り、
みんなでまた止まらないうちにと大急ぎで駅へ。
無事、それぞれの帰路につくことができました。

私は翌日横浜方面で仕事があったので
橋本駅の近くにホテルをとっていました。
ホテルについたのが、12時頃。
たどり着いた時はフロアに何人か人がいました。
恐らくキャンセル待ちでしょうか。
フロントで聞くと、このあたりは11時過ぎまで停電で
まだ、シャワーのお湯が安定しないだろうとのこと。
エレベータは止まっており、荷物を抱えて
建物の外の非常階段をあがります。
私は3階と低くて助かりました。
翌日朝ご飯で、同じ会社の人と会い、
聞くと、当日予約でなんとか取れたが10階で、
夜中に外の非常階段を10階まであがるのは
怖かったと話していました。

ホテルに入り、テレビをつけ、
そこで初めて津波の惨状を知った状態。
情報の有り、無しの違いの大きさを実感。

その日の夜はシャワーも浴びることができず、寝ました。
多くの人が家に帰れなかった状況を考えると
ベッドで寝れただけでもラッキーでした。

地震の瞬間に茨城にいた後輩とは
随時連絡を取り合っていました。
地震のため、イベントを中止し、
そのまま、エリアの営業担当者とともに車で
関東支社のある高崎まで車で移動し始め、
停電で信号機が停止している中、ノロノロ運転で
9時間ほどかけてたどり着いたとのこと。

私は地震で揺れ続ける中でも平気で
眠りましたが、後輩は気が昂り、
揺れるたびに机の下に入っていたようで
ホテルに入っても一睡もできずだったようです。
地震の最中と直後の自分の状況と
同じ会議室に一緒にいた人との様子を比べてみても
やはり、阪神を経験しているからか、
案外、冷静な自分を自覚しました。

こうして、地震の日を終えました。

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無事、帰着。

14時半頃、無事、岡山に戻ってこれました。
あまりに疲れているのでいったん家に帰りましたが、
いろいろ判断しなければいけないことがあり、
荷物おいて、着替えて、会社へ。
可能な限りの対応策を検討し、出社しているメンバーと
無事を確認しあって、ようやく帰宅。
昨日からの丸一日は非常に長い一日でした。

昨日のホテルで少し、そして、今日帰ってからのニュースを見て、
改めて事態の大きさを実感しました。
現地にいて、移動にずっと苦労していると
目の前のことしか見えておらず、
事態の全体像はなかなか掴めませんでした。

被災地のみなさんに、心からお見舞い申し上げます。

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新幹線に乗れた

新幹線に乗れた

ようやく、乗れました。
JRがかなり大混乱で、京王線でたどり着ける渋谷まで行きました。そこから、JR山手線に乗りましたが、渋谷から恵比寿までの一駅で15分かかって諦めました。そこからタクシー難民になりました。幸い、私の目の前で下車してくれる人がいて、タクシー切り替え大成功。目の前で降りてくださった方が神様に見えました。(笑)
在来線の大混乱とは大違いで新幹線はまったくダイヤの乱れなしです。
不思議です。
昨日、茨城出張だった後輩は、今日中に岡山にたどり着けるかどうかわからない状況。私はまだだいぶましなほうです。

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やっぱり簡単には帰れそうもない

JR橋本駅の大混雑に、JRで新横浜から新幹線に乗るルートを諦めて、京王線で品川から乗るルートに変更。
いつ岡山にたどり着けるか

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無事、帰れそう

> 会社携帯が朝4時頃から定期的に地震警戒メールを何度も送ってきて、
> 疲れていましたが、うるさくて、早起きしてしまいました。
>
> この警戒メール、昨日の一番ひどいときはまったく反応なかったのに。。
>
> JR線は今日は動くみたいなので、新幹線の駅まで
> たどりつけそうです。
> 夜に取っていた予約も早いのに変更できました。
> 無事、帰れそうかな。

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東京で地震にあいました

> 東京に来ています。
> 地震にあいました。
>
> こわかったです。
>
> 阪神の震災経験者ですが
> あの時の揺れとは全く違いました。
> 最初揺れたなって感じてから
> じわじわと揺れが大きくなり、
> 揺れている時間が長いのです。
>
> 阪神の時は、揺れは一瞬でした。
> そして、体感では今回の数十倍の揺れの感覚でした。
> その経験があったからか、私は結構冷静でした。
>
> ちょうど会議中だったのですが、
> 会議していた人と
> 私 “あ、揺れた”
> 相手“最近、地震、こっちは多いのよ〜”
> って会話を交わしているうちに
> どんどん揺れが大きくなり、
> これはもう机の下に入らねば、と、机の下にもぐりこみました。
> 揺れがどんどん大きくなる中で、“このままビルにいていいんだろうか”、
> 部屋中に響くミシミシと壁がきしむ音を聞きながら、
> “せめて扉あけないとまずいんじゃないか”って、思いを巡らせていました。
> 一緒にいた人がとにかく、震え、怖がり、おびえた声を出し
> 机の下に伏せながら私の手を握るので、扉は開けに行かずでした。
>
> こういう時どう動くのがよいのか、
> 経験重ねても対処できるものではないことを
> 改めて実感しました。
> 一旦ビルの外に避難しましたが、普段の避難訓練の
> 成果はほとんど出てません。点呼なんて全く機能していませんでした。
> わたしのような出張者の把握はまったくできてないですし、
> 屋外への退避の指示がでていること、会議室にいて知りませんでしたし。。。
> やはり、有事は自分で適切に判断して
> 早く動くことが大切ですね。
>
> こんな日に限って出張先の多摩センターにある京王プラザホテルが
> 満室で予約が取れておらず、電車がとまって、
> このまま東京支社に宿泊かと思いました。
> 23時頃、ようやく電車が動き出し、ホテルにチェックインできました。
> ホテルも23時過ぎまで停電だったようです。
> 当然エレベータはストップして、荷物持って、非常階段を上りました。
>
> 明日、岡山に帰れるかな。
>
> 今も、ずっと細かい揺れが続いています。

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羽田空港にて

羽田空港にて

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